2013年2月アーカイブ
「前編」でお話させていただきましたが、タイヤ1つ触る事も許されず、僕はツライ毎日を過ごしていました。最初の挨拶に立ち会っていただいた大阪のタイヤメーカー・Y部長さんが、お店に訪問いただいた時に「どうな?頑張ってるか?」と声をかけてくれました。事情を知ったY部長は
「晩御飯でも行くか」と誘ってくれて、タイヤSHOP近くの焼肉屋さんへ連れってくれました。
「俺はこっちの父親や。何でも相談してくればいい。そして、俺も乗りかかった船や。最後まで面倒みたる」と声かけてくれました。帰り際「またいつでも電話してくればいい。」と携帯番号を教えてくれました。
それ以降、お店での出来事や仕事の先行き等悩んだ時、Y部長に電話をかけさせていただくと、毎回「また、焼肉屋さんへ行こ」と近くの焼肉屋さんを誘ってくれて話を聞いてくれました。会計の時「僕がお願いして出て来ていただき話を聞いていただいたので、僕に払わさせてください」と言うと、毎回決まって
「一人前になった時に、俺にビールの一杯おごってくれ。それだけでいいから、その日を楽しみにしている」
と言ってくれました。僕はいつか必ず!と心に秘めていました。それでもお店では、掃除ばかりの日々で・・・月日が経ったある日、タイヤSHOPの専務から
「もう、和歌山に帰らんか?うちで預かっていても、これ以上(修行)先に進む事はないぞ」と言われました。僕はY部長と父母に相談して、和歌山へ帰る事になり、父の元で仕事を覚える事になりました。。。
このまま父の元で仕事を継ぐだけでは新たな事を出来ないと思ったので、和歌山のタイヤSHOPさんにお願いして、家業の定休日であった日曜日と祝日に無給でお手伝いをさせていただき、現場経験を積ませていただく事になりました。こちらのSHOPさんでは、タイヤ以外にも色んな作業経験と、カーSHOPとしてのノウハウをたくさん教えていただきました。平日は父の元で仕事をし、日曜・祝日は和歌山のタイヤSHOPさんで働かせていただく無休の毎日でしたが、仕事の出来る喜びで、しんどいと思った事はありませんでした。そして等々、ツジガイトタイヤからリニューアル「タイヤガーデン・ツジガイト」がOPENする事になりました。当店の店舗設計に関しては、父母ではなく僕に任させてくれました。
今から10年前の3月12日、タイヤガーデン・ツジガイトOPEN日は、おかげさまで大盛況でした。そんな中ご来店された一人の方が、大阪のY部長でした。僕が和歌山に戻ってきてから数回お会いした事ありましたが、大阪と和歌山で担当が外れたのと、開店準備等でバタバタしていたので随分お会いしていませんでした。まさかOPEN時に訪問いただけるとは夢にも思っていなかったので、Y部長から「開店おめでとう!」と強い握手と声をかけていただいた時は、人目を気にせずY部長の胸で泣いてしまいました。
Y部長:「やっとこの日がきたな。このお店はオマエの店や。父母も一緒だけど、これからタイヤガーデンツジガイトの看板を背負うのはオマエや。開店おめでとう」
と声をかけていただきました。そして僕はY部長に
僕:「Y部長、この日を迎えられたのでビールをおごらせて下さい。約束です。和歌山に来られている今夜、時間を空けてもらえませんか?」
とお願いをすると
Y部長:「そうやったな。けどまだ今夜じゃない。一年後や。今日スタートをきったばかりで、これから色んな山場があると思う。一年後には、また俺に何か相談したい事があるはず。だから一年後や。」
僕:「・・・ 分かりました。そしたら、一年後は絶対におごらせてくださいね。その時に、僕も良い(実績)報告できるように頑張りますんで」
と、Y部長に約束をしてもらいました。それから僕は毎日、田舎のタイヤ屋さんから脱却したトータルカーショップを目指し、昔からの父母についたお客様だけじゃなく、初めてご来店いただくお客様や自分を指示していただくお客様に来ていただけるよう頑張りました。
そして一年後。
リニューアル1周年記念セールイベントの準備を進め、仕事終わった後の夜にセールイベントのチラシをポスティングしている真っ最中に僕の携帯電話に、メーカー関係者の方から
メーカーさん:「よしきちゃん(僕)知ってるんかなぁ・・・Y部長さんの事。」
僕:「何ですか?・・・」
メーカーさん:「あっ、知らなかったのかぁ。お亡くなりになったんよ。病気だってねぇ・・・」
僕は頭の中が真っ白になり、信じられませんでした。もうすぐ1年を迎え、Y部長にやっと恩返しのビールをご馳走できる日が直ぐ目の前に迫っていた時に、そのセールチラシを配布している時に恩師の訃報を聞くとは。。。 Y部長を知る人の話では、1年以上前から病と闘っていたそうです。1年前に僕と「1年後にビールをおごってくれ」と約束してくれた時、どんな思いで1年後と言ってくれたんだろう・・・。
僕は結局、Y部長に恩返しを出来ませんでした。なので、天国から見てくれているだろうY部長さんに安心してもらえるよう、僕はこれからも努力していきます。
Y部長さん、本当に本当に有り難う御座いました。 m( __ __ )m
今年3月で当店リニューアルオープン10周年を迎えるにあたって、10年前の出来事を前編/後編に分けて告白したいと思います。
みなさんの人生で、心に残っている音楽一曲をあげるとしたら何かありますか?!好きなアーティストの一曲・心に響く歌詞の一曲・恋人との思い出の一曲・・・音楽って、その時代を思い出させてくれる、振り返られる素晴らしいものですよね。僕が今迄の人生で一曲をあげるなら「長い間・歌手Kiroro」です。
僕の父母が一代で立ち上げたタイヤ販売店「ツジガイトタイヤ」を物心ついた頃から見てきていました。ですが、僕が小学校6年生の頃から、お隣に開店された「喫茶アン・ドゥ・トヮ」に縁があってアルバイトに行き始めました。中学校時代/高校時代も帰宅後ほぼ毎日喫茶店でアルバイトをしていました。父母は昔から「家業を継いでもらわなくても、自分のやりたい道に進めばいい」と常日頃言ってくれていましたので、将来は料理人に!なんて夢も描いていました。けど、高校3年生の進路を決める時に僕は「やっぱりクルマが好きだし、家業のタイヤ販売と、もっと職種を広げていきたい」と考え、自動車整備の専門学校「ホンダ学園」に進学する事を決めました。
専門学校で自動車の基礎を勉強して、2級整備資格も取得し、ホンダDラーに就職しました。家業に就く前に現場で整備のノウハウを身につけようと思いましたが、ホンダDラーに就職して一年経たない間にタイヤメーカーからリニューアル(後のタイヤガーデン看板)の話を持ちかけられました。気づかれた方は少ないかもしれませんが、僕はこれまで家業のタイヤ店の手伝いをした事ありませんでした。タイヤを転がすぐらいは手伝った事ありましたが、タイヤの入れ替え他作業を経験した事なかったんです。僕は慌てて自動車整備よりも、タイヤ業界への修行に切り替えました。
自分で大阪各地のタイヤSHOPを周り、メーカーさんに販売実績のあるお店もアドバイス頂き、枚方市にあるタイヤSHOPさんにお世話になる事になりました。僕は家業の話を封印して密かに現場経験をと考えていましたが、就職初日には、父母と和歌山県のタイヤメーカー部長さん・大阪府のタイヤメーカー部長さん(後の恩師Yさん)・担当者さんとで、お世話になるタイヤSHOPさんへ挨拶に行く大層な事になっていました。
こんな大層な挨拶を受けて、僕を引き受けて頂く事になったタイヤSHOP専務さんは、プレッシャーを感じたそうですが、当の中心人物の僕は・・・。
初日「じゃぁ、このタイヤ入れ替えしておいて」と仕事を与えてもらっても、ぎこちない手さばきに
「オマエ、タイヤ屋の息子やろ?タイヤ入れ替え作業できないのか?」と呆れられました。
その後も作業を与えていただけましたが、出来ない作業と失敗の連発。とうとう専務に
「もうオマエは、作業するな。タイヤ1つ触るな。毎日掃除でもしとけ」
と叱られました。僕は当然の事だと受け止めました。それから毎日、掃除や片付けの日々でした。ピット作業の先輩達は僕に気を使ってくれて、こっそり作業を教えてくれたり、タイヤ入れ替えの練習をさせてくれましたが、専務に見つかると怒られました。更に、昼御飯の後や作業の入っていない間に休憩室で先輩達と一緒に休憩をしていると
「オマエは作業もしていないのに、(みんなと)休憩するな」
と休憩する事も許されませんでした。何も出来ない自分が情けなくて情けなくて、静まり返ったワンルームマンションに帰ると毎晩のように泣いていました。専務のおっしゃる事はごもっともだと思ったので、何も出来ない自分に腹が立ちました。
休憩する事も許されず、開店から閉店まで掃除や雑用ばかりでしたが、ある先輩が
「休憩室で休んでいたら専務に怒られるから、ここ(ピットの一角)だったら店内から見えないから、僕らが休憩してる時はここで休んでなよ。専務の姿が見えたら、何かしてるふりして動きな」
と、店内に座っている専務の死角に入る場所を教えてくれました。そのピットの一角は、ピット内のBGM(FMラジオ)を流しているラジカセの側でした。
僕は掃除・片付けをしている時も、隠れて休憩をしている時もずっとラジオを聞いていました。この時、大ヒットしていた曲が「Kiroroの長い間」でした。ランキングで上位に入るから歌が流れ、リスナーからのリクエストが入るから歌が流れ、朝から晩まで毎日何度も何度も「Kiroroの長い間」が流れていました。
僕の心に残る一曲「Kiroroの長い間」は、僕がツライ修行時代に毎日聞いていた曲なんです。今もラジオのザワザワした音色で「Kiroroの長い間」を聞くと、当時の事を思い出して泣いてしまいます。。。
後編 「恩師との別れ」へ。
昨夜、ラーメン大好き3人(男w)と初めて行くラーメン店探しに出ました(笑)心当たりのあるラーメン店があったのですが、閉まっていて・・・更にドライブしていると、真っ暗な岩出バイパス通りに1件ラーメン店の灯りが!! 迷わずINしました♪ まだ新しい店構え
まる正(しょう)さんです!! 店内のメニューを見ると、焼肉や他メニューもいっぱいありましたよ♪ 今は現役引退されていたw 元大リーガー・マック鈴木さんのサイン&来店写真も! 中華そば(700円)を注文しました。
トッピングではなく、もやし&味卵が添えられていて嬉しいですね!!味は、ダシもメンマもちょっと甘い目のような気がしました。と・・・夕食直後の〆のラーメンでしたが、ちょっと量が物足りなかったような気が・・・。僕は、麺の量が少なく感じましたが、友人二人はダシの量が少ない?・・・と。。。
昼の部と夜の部があり、夜は深夜2時まで開店されているそうですよ!!
私の足が大根足だって?
首が無いって?
バッカじゃないの! 文句ある訳?
じゃあ あんた達、こんな立派なモノもってる訳? 私はいつも、後ろに回してるの。
私に言いたい事あるなら、タイヤガーデン・ツジガイトへ言いに来なさいよ!!
待ってるから!!
(笑)
鬼は〜外! 福は〜内! と、昨夜僕はベランダに追い出されましたwww
今年も子供達は保育園で鬼の面を作ってきました♪ Jr.は春から小学生なので、面を製作するのも最後かな・・・。②Jr.も上手に作って、被って帰ってきました(笑)
Jr.は毎年、(保育園の)鬼が怖い・・・とビビっていましたが、今年も聞くと「全然怖くない!」と力強い返答!!がしかし、保育園に鬼さんが現れると、泣きはしなかったそうですが、滑り台遊具の上へ友達数人と逃げていたそうです(笑)昨夜、自宅で豆まきする時も
「パパが鬼になって。保育園の鬼は嫌(来ないで)」と、ちょっとビビっていました(笑)
②Jr.はといいますと、節分前から先生に「今度、保育園に鬼さん来るよ。良い子でいないと、自宅にも鬼さん来るかもよ」と言われ、かなりビビっていました(笑)自宅で、「あっ、そんな事言っていたら鬼さん来るわ」と言うと、固まっていました!
保育園に鬼さんが来た時は大泣きして先生の背後に隠れていたそうで、鬼さんが帰ってしまってからも呆然として座り込んでしまっていたそうです!!可愛いけど可哀想・・・(泣)
我が家の、悪い鬼さんは飛んで行け〜!!福よ、やってこ〜い!!
よくお酒の買い出しに行くお店に駄菓子コーナーがあるので、子供達に毎回「好きなだけ買っていいよ!」と駄菓子用のカゴを持たせてあげます。
いつもだけど、Jr.は何を買おうか迷っています。②Jr.は、パパっと選んでいます。
その結果
画像のような状態で「これでいい」とレジへ(笑)②Jr.は「あっもう一個」と言って追加していましたwww
これは、性格の違い? 長男と次男の育て方の違い?・・・